Janet Jackson - Pleasure Principle  
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The Pleasure Principle
“The Pleasure Principle”は、Janet Jacksonにとって大きな飛躍となった1986年リリースのアルバム “Control”から、数えて6番目のシングル。1987年5月にリリースされたこの曲の詞とメロディーは、
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The Classic Pleasure Principle
Janet Jacksonのキャリアは、いろいろな意味で “Control”の大ヒットから始まったと言っていいだろう。それは決して、まぐれ当たりや例外だったわけではなく、
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Janet Jackson
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Janet Jacksonのキャリアは、いろいろな意味で “Control”の大ヒットから始まったと言っていいだろう。それは決して、まぐれ当たりや例外だったわけではなく、運命の鎖が向かうべき道へと繋いでいったと言っていい。Janetの歴史を語るにはまず、ミネアポリス・サウンドの夜明けとなった80年代初頭のミネソタ州ミネアポリスにさかのぼらなければならない。この話には、最盛期だった頃のPrinceも登場する。Princeは、この新しいサウンドの守り手であり、ルールを作り、後に続く者を厳しく支配していた。そんな独裁政権下では、小競り合いやケンカ、バンドメンバーの解雇などが発生するもの。しかし、これらの不幸な出来事が、Janet Jacksonを大きく飛躍させる結果となった。

1981年4月、Princeは、ミネアポリスのファンクバンドThe Timeを結成する。The TimeはPrinceにとって、最もファンキーでダンサブルなR&Bを、密かに表現するためのはけ口のような存在だった。彼はバンドでの別名“Jamie Starr”のもと、同名のアルバムをリリースしている。The Time発足当時のメンバーは、リードボーカルのMorris Day、ギターのJesse Johnson、ベースのTerry Lewis、ドラムのJellybean Johnsonで、キーボードはJimmy JamとMonte Moirの2人が担当していた。メンバーの才能は素晴らしいものだったが、音楽には発揮されず、彼らは自分たちの音作りをしたいと切に願っていた。2枚目のアルバムが1982年に発表されるまでには、メンバーのほとんどがPrinceの独裁主義にうんざりしており、次第に小競り合いが起こるようになった。1983年3月、JimmyとTerryがコンサートに現れなかったため、Princeは2人を解雇する。Princeはその決断を顧みることはなかった。Michael Jacksonの“Thriller”へのチャレンジを臨み、次のアルバム“Purple Rain”の制作に没頭していたからだ。しかし、Princeには予知できなかったが、彼の行ったJimmyとTerryの解雇は、意外な結末を導き出すことになる。
80年代当時の音楽シーンは、「The Gloved One(手袋をはめた者)」と「The Purple Pauper(紫の貧民)」の2つのグループに、はっきりと分かれていた。彼らはお互いに排他的で、一緒にプレイするなんて考えられなかった。アフリカの人々のために歌ったチャリティーソング“We are the World”でさえ、絶対にありえない! どう考えても、モータウンとミネアポリスとの間に結束などあるはずがなかった。少なくとも、Janet Jacksonが登場するまでは。

JimmyとTerryはペイズリーパークから姿を消した時、ミネアポリス・サウンドの秘密と、若いミュージシャンを生み出すノウハウを持ち出した。Janetの方は、James De Bargeと駆け落ちし、Jackson一族を追われる身となっていた(その結婚も、たった数か月後に破局を迎えるのだが…)。しかし、Janetは最初から結成を拒絶しなかった。Janetには、ステージの袖から兄弟の姿を見てきた幼少時代の思い出や、世界最強のスーパースターとして壇上に立ったティーンエイジャー時代の経験もあったし、大人になって培った、MTV世代をマスターするための鋭い判断力も持ち合わせていたから。JimmyとTerry、そしてJanetは、モータウンとミネアポリスのハイブリッドを結成して、音楽の壁を打ち破ろうと、歩み寄ったのだった。

Princeのような音でありながら、Michaelのような動きをこなせる、そんな条件にJanetはぴったりだった。ミュージックシーンへのJanetの登場は、コークとペプシを混ぜて、ラムを加えたようなそんな感じ。かつて、誰も味わったことのないような味。ヘビーなビートとシンセのトラックで満ちた、ファンキーで新鮮なサウンドだった。アルバム“Control”は、自信に満ちた生意気な若い女性が初めて責任を持って自分で生きるという、当時のポップミュージックには見られない内容だった。

Janetの与える解放は、どこに行っても人々の共感を誘った。彼女のスタイルを確立したプロモーションビデオは、観るものを魅了し、まさに世界のポップ界を独占すると宣言するのにふさわしい発表の場となった。The Timeから脱落した2人のメンバーは、パーフェクトなポップスターを生み出すことに成功したのだ。

芽を吹き出したJanetの成功は、PrinceやMichaelを驚かせたに違いなかった。彼らは、どうしてその時が来ることを予測できなかったのだろう? お互いの戦いに没頭して、周りに注意を払う余裕がなかったのか? Princeは、“Control”の特徴的な音を彼自身の音から派生したものであり、自分が解雇した不届き者によって作られたことを認めざるを得なかった。モータウンの方でもJanetの劇的な成功物語に、Michaelは周りからなじられ、悩まされ、Janetが1987年のアメリカン・ミュージックアワードにノミネートされた時、彼女の付き添い役を断わってしまった。そこでJanetは、“The Facts of Life”出演の女優で、幼ななじみのKim Fieldsに代役を頼んだのだった。

“Control”は、この1枚からR&Bナンバーワンヒットを5曲も生み出したアルバムであり、Janetはその快挙を果たした初めてのアーティスト。さらに、そのうちの1曲は、“Billboard Hot 100”で初のナンバーワン・シングルを飾った。Jimmy Jamは、 ラジオ、R&Bやポップのチャートで成功し続ける“Control”を「ゲットー・グラミー賞」と命名している。そして、Janetの実力が最終的に認められたのは、1987年のグラミー賞だ。彼女は3つのグラミー賞に指名されるが、評論家の票を勝ち得たのは生演奏だった。彼女は、JimmyとTerryを自分の側につけ、Jackson一族の名にふさわしい血統書付きのパフォーマンスを見せた。それは、忘れがたいジャムセッションとなった。Janetは聴衆を感動させ、聴衆を元気づけ、聴衆をうならせた。彼女はJackson一族の一員としてではなく、Janet Jacksonとして、仲間たちからスタンディング・オベーションを受けたのである。

 
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